はじめに:本好きにとって悩ましい質問:好きな小説家は?
好きな小説家は?
と聞かれてもう村上春樹と答えることはなくなった。けれどもこれまでに読書で一番長い時間を費やしたのは、確実に村上春樹だ。どの長編も少なくとも三度以上は手に取っているし、多いものは十度はゆうに超えている。それに、青春時代に好きだったものというものは特別な輝きを持つものだ。
今では誰と答えているだろう。その時によって変わるが、村上春樹を一番に出すことはもはやない。村上春樹とは、そういう存在だ。
また、初対面の人に小説好きということが知れた時に、よく聞かれる他の質問がこれ。
『村上春樹とか好き?村上春樹読みたいんだけどおすすめある?』
これはかなり答えづらい質問だ。まず短編集、中編、長編、などなど作品数が膨大にある。その上デタッチメントからコミットメントへ、なんて大転回もあった。
大ヒットしたリアリズム小説『ノルウェイの森』とは違う作風を主戦場にしていたという混乱もある。閉じた世界、宗教性についてカポーティ『冷血』ばりのノンフィクションを長い時間をかけて追求したり、打って変わって翻訳家としての顔も持つ、と、簡単に一作をおすすめすることはできない作家なのだ。
そこで、この記事では、タイプ別に村上春樹作品をオススメしていく。
オススメするにあたって
- タイプ別に村上春樹の小説をオススメする(下記1-11参照)
- 中編、長編から11種類選んだ(初期三部作はひとまとめにした)
- 1から11まで、数字=オススメ順とした
- 短編集、翻訳集などは除外
- 悪に立ち向かう勇気が必要な人へ捧ぐ
- 世間や社会からずっと逃げていたいロマンチストへ捧ぐ
- 夢の世界に生きていたい人向け
- 大作家の集大成を味わいたい人向け
- 推理小説風な文学作品が好きな人向け
- 古典文学が好きな人へ
- 初期村上作品が受け付けられなかった人が試読すべき一作
- 詩的表現の最高峰、超絶技巧に溢れた奇妙なラブストーリーが読みたい方へ
- 初期三部作がツボにはまったら読みたい一作
- 世界的作家の100%のリアリズム小説を読みたい人向け
- 実験小説が好きな人向け
目次
- はじめに:本好きにとって悩ましい質問:好きな小説家は?
- オススメするにあたって
- 目次
- 1. 悪に立ち向かう勇気が必要な人へ捧ぐ(オススメ度★★★★★)
- 2.世間や社会からずっと逃げていたいロマンチストへ捧ぐ(オススメ度★★★★★)
- 3.夢の世界に生きていたい人向け(オススメ度★★★★★)
- 4.大作家の集大成を味わいたい人向け(オススメ度★★★★☆)
- 5.推理小説風な文学作品が好きな人向け(オススメ度★★★★☆)
- 6.古典文学が好きな人へ(オススメ度★★★★☆)
- 7.初期村上作品が受け付けられなかった人が試読すべき一作(オススメ度★★★☆☆)
- 8.詩的表現の最高峰、超絶技巧に溢れた奇妙なラブストーリーが読みたい方へ(オススメ度★★★☆☆)
- 9. 初期三部作がツボにはまったら読みたい一作(オススメ度★☆☆☆☆)
- 10.世界的作家の100%のリアリズム小説を読みたい人向け(オススメ度★☆☆☆☆)
- 11.実験小説が好きな人向け(オススメ度★☆☆☆☆)
- おわりに
- あわせて読みたい
1. 悪に立ち向かう勇気が必要な人へ捧ぐ(オススメ度★★★★★)
ねじまき鳥が世界のねじを巻くことをやめたとき、平和な郊外住宅地は、底知れぬ闇の奥へと静かに傾斜を始める…。駅前のクリーニング店から意識の井戸の底まで、ねじのありかを求めて探索の年代記は開始される。
『ねじまき鳥クロニクル』を書いて、村上春樹は自分の世界に閉じ込もっているだけの小説家ではなくなった。軽快な比喩と卓越したリズム感の文体で、自分だけのお洒落な世界を語る自慰野郎だったところから、他者とのかかわり合いを強烈に意識するようになっている。
デタッチメントからコミットメントへ、というのは村上春樹作風変化のキーワードだが、コミットメントへ変わった印としても本作は捉えられる。
私たちが彼の物語を読む時、物語を通して、精神の井戸の底のようなところ、潜在意識でつながっていると彼は言う。単語でもなく、短文でもなく、文章でもなく、物語でしか伝えられないもの、それを訴えかけてくるような小説。
注意点としては、少し難解、かつグロ描写あり、かつ長い、というところ。そこに躊躇がなければ、間違いなくこれから読み始めてみるとよい。
村上春樹小説が、やれやれ、とつぶやきながらパスタ茹でてゆっくりと射精するだけだと思っているのなら、なおさら読んでみて欲しい。(パスタ茹でてるけどね)
2.世間や社会からずっと逃げていたいロマンチストへ捧ぐ(オススメ度★★★★★)
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 全2巻 完結セット (新潮文庫)
- 作者: 村上春樹
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高い壁に囲まれ、外界との接触がまるでない街で、そこに住む一角獣たちの頭骨から夢を読んで暮らす〈僕〉の物語、〔世界の終り〕。
老科学者により意識の核に或る思考回路を組み込まれた〈私〉が、その回路に隠された秘密を巡って活躍する〔ハードボイルド・ワンダーランド〕。静寂な幻想世界と波瀾万丈の冒険活劇の二つの物語が同時進行して織りなす、村上春樹の不思議の国。
『ねじまき鳥クロニクル』がコミットメントを象徴する小説だとしたら、本作『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』はデタッチメント側に位置する傑作小説だ。
ひたすら自意識と向き合って、まるで世界が自分(とその周辺)だけでできていて、その関係性だけが世界の命運を分ける、と言ったような世界観が描かれている。
『世界の終わり』パートと、『ハードボイルドワンダーランド』の二部構成になっていて、交互にそれぞれのパートが並行的に語られていくという手法が取られていて、それがかなり高いレベルで構成されている。
村上春樹自信もこれを書き上げたことでかなりの自信を手にしたという。2つの全く異なる(ように思える)世界が交わっていく様子は鳥肌もの。
3.夢の世界に生きていたい人向け(オススメ度★★★★★)
1970年の夏、海辺の街に帰省した<僕>は、友人の<鼠>とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。2人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、<僕>の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。
風の歌を聴け (講談社文庫) : 村上 春樹 : 本 : Amazon
1973年、大学を卒業し翻訳で生計を立てていた「僕」は、ふとしたことから双子の女の子と共同生活を始めることになる。そんなある日、「僕」の心をピンボールが捉える。1970年のジェイズ・バーで「鼠」が好んでプレイし、その後「僕」も夢中になったスリーフリッパーのピンボール台「スペースシップ」を捜し始める。
あなたのことは今でも好きよ、という言葉を残して妻が出て行った。その後広告コピーの仕事を通して、耳専門のモデルをしている21歳の女性が新しいガール・フレンドとなった。北海道に渡ったらしい<鼠>の手紙から、ある日羊をめぐる冒険行が始まる。新しい文学の扉をひらいた村上春樹の代表作長編。
『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』この三作品は、『僕』と『鼠』の物語で初期三部作や、青春三部作と言われることもあり、一括りにした。(『ダンス・ダンス・ダンス』をグループに入れる向きもあるが、ここでは青春三部作として『ダンス~』は除く)
完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
(風の歌を聴け 本文より)
私にとってはこの始まりがある種完璧な小説の始まり方だ。特に何が起こるわけでもない小説なのだが、文章のひとつひとつがとてつもないキレ味を持っている。物語で楽しませる成熟された村上春樹ではなく、文章そのもので楽しませてくれる。それが『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』だ。
『羊をめぐる冒険』は物語を構築することを念頭に書かれているので、もう少し懐が深くなっている。喪失感や郷愁と言った感情は芽生えてもカタルシスに乏しかった前二作とくらべて、おおきなうねりのようなものを感じられる一作になっている。
前二作は一気に読んでもそんなに分量はないので、まずは試し読みでもオススメ。午前いっぱい、午後いっぱいで読めてしまう。
4.大作家の集大成を味わいたい人向け(オススメ度★★★★☆)
2人の主人公、天吾と青豆は孤独な10歳の少年少女として、誰もいない放課後の小学校の教室で黙って手を握り目を見つめ合うが、そのまま別れ別れになる。
そして相思いながら互いの消息を知ることなく長年月が過ぎた1984年4月、2人は個別にそれまでの世界と微妙に異なる1Q84年の世界に入り込む......
ここまで出てきた小説は全て一人称の小説、いわゆる『僕』が主人公の物語だった。それに対してこの小説は『天吾』、『青豆』の二人の視点を通して物語が語られる三人称小説だ。
一人称視点での小説は、描ける範囲に限りがある(主人公視点のみ)。三人称だと、より広い世界が描ける。どちらが良い悪いというわけではないが、村上春樹が今作で三人称視点を選んだのはもちろん大きな世界を描きたかったからだ。
彼は常々、『カラマーゾフの兄弟/ドストエフスキー』のような小説を描き上げるのが、目標、と語っている。物語の全ての要素が詰め込まれた小説、いわゆる総合小説を残したいと考えていた。
また、長年取り組んできた、体制と反体制、宗教、閉じられたコミューンといったテーマに、ある種の蹴りをつける作品となっている。読み応えもたっぷりあり、何よりドラマがある。初期には見られない血の通った物語になっている。
まさに村上春樹の集大成といっていい本だ。
5.推理小説風な文学作品が好きな人向け(オススメ度★★★★☆)
多崎つくるは鉄道の駅をつくっている。名古屋での高校時代、四人の男女の親友と完璧な調和を成す関係を結んでいたが、大学時代のある日突然、四人から絶縁を申し渡された。理由も告げられずに。死の淵を一時さ迷い、漂うように生きてきたつくるは、新しい年上の恋人・沙羅に促され、あの時何が起きたのか探り始めるのだった。
2016年5月時点での長編最新作。
読みやすくて、エンタメ要素が多くて、とっつきやすい。そして、珍しくリアリズムで書かれている。大作ではないけれど、親しみやすくて気軽に読める。そんな作品だ。
いけすかない俗物や、得意の父への憎しみ(全ての文学は母親をめぐる父親との対決である......)が本作にも出てくるのだが、いかんせん村上春樹が年を取って丸くなったのか、それらを『赦す』ような姿勢が往年の読者には逆に新鮮だったのではないだろうか。
とにかく新しいものを読みたいという人にはうってつけだろう。
6.古典文学が好きな人へ(オススメ度★★★★☆)
「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」――15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。家を出るときに父の書斎から持ちだしたのは、現金だけじゃない。古いライター、折り畳み式のナイフ、ポケット・ライト、濃いスカイブルーのレヴォのサングラス。小さいころの姉と僕が二人並んでうつった写真……。
『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』と形式は似ていて、『僕』パートと、ナカタさんパートが交互に語られる。この形式は、村上春樹作品との相性がとてもいい。
はっきりいって性描写、肉体のはしつこいし、途中に村上春樹の怨念が語らせている部分もあったりして、すっきりはいかない作品。しかし、『オイディプス王』を下敷きにしただけあって、寓話的で、それが物語に重厚感をもたせている。
それなのに、従来の村上春樹作品にはないようなキャラクターたちも出現していて、物語的にも幅が広がっている。そこがすごく良い。
また、終盤には『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』に通じるような展開もあってかなり熱い。ドラクエ3のバラモスを倒した後に待ち受ける展開のような気分になれる。よって、先に『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を読むのをオススメするため★4つ。
7.初期村上作品が受け付けられなかった人が試読すべき一作(オススメ度★★★☆☆)
今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら、僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなくてはならないだろう―たぶん。「ジャズを流す上品なバー」を経営する、絵に描いたように幸せな僕の前にかつて好きだった女性が現われて―。
『ねじまき鳥クロニクル』の推敲段階で削除された部分を大幅に加筆して作られたとい中編作品。『ねじまき鳥クロニクル』を偏愛していた私にとってはとても相性の良い作品。
文章は相変わらず読みやいし、分量もそれほど多くない。ふらふらして、完璧じゃない主人公ははっきりいって実際に存在してしたとしても魅力がない。しかし、我々が心のどこかでこうありたい、これは『私』の一部なのだ、と思わせる部分が村上春樹の登場人物にはある。本作でもそれは変わらない。
幻想的な描写が喪失感をより濃くする筆力はさすがのひとこと。ただし、『ねじまき鳥クロニクル』を先に読むことをオススメするので★3つ。
8.詩的表現の最高峰、超絶技巧に溢れた奇妙なラブストーリーが読みたい方へ(オススメ度★★★☆☆)
22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。
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『スプートニクの恋人』は村上春樹の文体の総決算で、洒落たメタファーや名言が詰まりまくっている名作だ。たとえばこんな感じ。
その浜辺はひとりぼっちで訪れるにはあまりにも静かであり、あまりにも美しすぎた。そこにはある種の死に方をおもい起こさせるものがあった。
(本文より)
何を言えばいいのかわからなかったので、ぼくは黙っていた。広々としたフライパンに新しい油を敷いたときのような沈黙がしばらくそこにあった。
(本文より)
「だからといってわたしのことを嫌いになったりしないでね」とすみれは言った。彼女の声はジャン・リュック・ゴダールの古い白黒映画の台詞みたいに、ぼくの意識のフレームの外から聞こえてきた。
(本文より)
物語の終わりには電話がかかってくる。『ノルウェイの森』のように電話で彼らは話をする。ただし『ノルウェイの森』とは違った終わり方をしている。
9. 初期三部作がツボにはまったら読みたい一作(オススメ度★☆☆☆☆)
『羊をめぐる冒険』から4年、激しく雪の降りしきる札幌の街から「僕」の新しい冒険が始まる。奇妙で複雑なダンス・ステップを踏みながら「僕」はその暗く危険な運命の迷路をすり抜けていく。70年代の魂の遍歴を辿った著者が80年代を舞台に、新たな価値を求めて闇と光の交錯を鮮やかに描きあげた話題作。
青春三部作の続編、または『羊四部作』と、四部作としても扱われる一作。
個人的には『羊をめぐる冒険』で終わっておいても良かったんじゃないか、と思う。ただし、本作『ダンス・ダンス・ダンス』があるからこそ、青春三部作に意味が出てくる、という人もいるのでそれぞれなんだろう。
とにかく、一番最初に読んではいけないので★1つ。
10.世界的作家の100%のリアリズム小説を読みたい人向け(オススメ度★☆☆☆☆)
暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルク空港に着陸すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。僕は1969年、もうすぐ20歳になろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱し、動揺していた。限りない喪失と再生を描き新境地を拓いた長編小説。
これをいきなり読んで、村上春樹を嫌いになる人は、ちょっと待って欲しい。確かに大ヒットした作品だし、ブームの火付け役は本作だろう。
ただし、本作は明らかに村上春樹作品の中でも異質なのだ。村上春樹の真骨頂は、現実なのか、非現実なのかわからないような世界観で、マジックリアリズムと呼ばれたり、詩的な世界と日常の同居と言われたりする。井戸を抜ければ別の世界とつながっているし、かえるは喋るし、そう言ったことだ。
しかし、本作はリアリズムで書かれている。もちろんリアリズムで書かれた村上春樹作品はいくらでもあるが、リアリズム作品だけで判断してほしくないということだ。
その他の村上春樹も読んでから判断して欲しいので★1つ。
11.実験小説が好きな人向け(オススメ度★☆☆☆☆)
真夜中から空が白むまでのあいだ、どこかでひっそりと深淵が口を開ける。
時計の針が深夜零時を指すほんの少し前、都会にあるファミレスで熱心に本を読んでいる女性がいた。フード付きパーカにブルージーンズという姿の彼女のもとに、ひとりの男性が近づいて声をかける。そして、同じ時刻、ある視線が、もう1人の若い女性をとらえる――。
カメラ・アイのような視点を取り入れた中編。村上春樹自身も、これをひとつの実験だとしている。
結果的に他の作品に活かされることはなかったようだが、総合小説、もっと大きなことを語るための実験として書かれている。
『人の気配』がかなり多くて読んでいても気配がうるさい。夜から朝になるまでを描いているはずなのに、病的なまでに年の夜はうるさい。その感覚が中毒的になってしまい、個人的には何度も読み返している。
確かに読みどころはたくさんあるが、初めに読む小説ではない。よって★1つ。
おわりに
異論は認める。