はじめに:心から望むことだけして生きる
久々に超名著に出会ったので紹介。
その名著とは、ご存じの方も多いでしょうが、『エッセンシャル思考』です。スティーブン・コーヴィー『7つの習慣』からインスパイアされており、類似する部分もあるが、とっつきやすさでは『7つの習慣』を凌ぎます。何より中身が題名のとおりエッセンシャルにまとまっているのです。
心から望むことだけして生きる=エッセンシャル思考に生きる、ということで、日々お疲れのサラリーマンには刺さる名言が多く載っています。この記事では個人的に刺さった名言と、それの意味するところを私なりに考察しながら紹介していきたいと思います。
目次
- はじめに:心から望むことだけして生きる
- 目次
- 自分で優先順位を決めなければ、他人の言いなりになってしまう
- 選ぶ能力は誰にも奪えない、ただ、本人が手放してしまうだけだ
- 絶対にイエスと言い切れないのなら、それはすなわちノーである
- 大切なことを知っていれば、断る事ができる
- さいごに
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自分で優先順位を決めなければ、他人の言いなりになってしまう
どうでしょう、あなたの人生は他人の言いなりになっていないと自信を持って言えるでしょうか。私は100%否定できませんでした。
周りを見渡してみても、能力が高く、優秀な人はたくさんいるというのに、その能力を最大限に生かせていない人がたくさんいます。彼らは優秀であるが故に、仕事をたくさん与えられ、色んなことを抱え込みます。そして、それらを全てこなします。たくさんのことを要領よくこなすのです。ただし、そうなってしまったあとでは、彼/彼女が目指していたものからは大きく離れてしまっています。
本当にすべきなのは、心から成し遂げたいことを、大切に行うことのはずです。最優先事項を最優先する。
あなたの最優先事項はなんですか?あなたは今、それを最優先できていますか?
選ぶ能力は誰にも奪えない、ただ、本人が手放してしまうだけだ
この言葉も、ぐうの音も出ない一撃を私に与えました。人生は有限で、自分自身によって創り上げていくべきものです。
それらのに、どれほどの時間を他人のため、それも些細なことにささげているでしょう。私たちは進んでそれを選らんでいる、と言えるでしょうか。惰性に流されてしまっている時間のなんと多いことか。
私たちは(自発的であれ、惰性的であれ)、常に何かを選び取っています。その結果、常に選ばれなかった可能性が毎秒死んでいっているのです。
何かを選ぶということは、何かを捨てるということなのです。
絶対にイエスと言い切れないのなら、それはすなわちノーである
極論を語っているように見えるでしょう。でも、もし、万が一こんな風に生きれるとしたら、それは素晴らしい人生になるとは思いませんか?
宇宙兄弟のシャロンの名言にも重なります。
迷った時はね「どっちが正しいか」なんて考えちゃダメよ
日が暮れちゃうわ
頭で考えなきゃいいのよ
答えはもっと下あなたのことならあなたの胸が知ってるもんよ
「どっちが楽しいか」で決めなさい
『宇宙兄弟』シャロン
そこまでやるかどうかはともかくとして、自分の中に基準はありますか?それに基づいて選択できているでしょうか?イエスの基準をしっかり作って、それに合格したことだけを選び取りたいものです。
大切なことを知っていれば、断る事ができる
ノーと言うには、強いイエスが必要である。これは『7つの習慣』でも言われていることです。大切なこと、つまり最優先事項を知っていれば、それ以外のことは断ることができるのです。
更に、本書では具体的な断り方も載っています。
- とりあえず黙る
- 代替案を出す
- 「予定を確認して折り返します」
- (メール依頼に対して)自動返信メールを設定しておく
- (上司からの依頼に対して)代わりにどれを後回しにするか聞く
- 冗談めかす
- 肯定を使って否定する
- 別の人を紹介する
詳細は本書を手にとって読んでみて欲しいです。鮮やかな断り方が載っています。ノーを言えることは優秀な人の必須条件なのかもしれません。
さいごに
物に溢れ、情報に溢れ、選択肢に溢れた現代にあって、本質的なものを見失いがちです。
エッセンシャル思考に生きれば、後悔なく生きることにつながります。死ぬ間際に最も後悔することとして挙げられるのが以下です。
『人の期待に沿うためでなく自分に正直に生きれば良かった』
あなたが本当に時間/リソースを使いたい人・物・ことはなんですか?それに対して十分な時間を使えていますか?
少しでも疑問が沸いたら、他人にさせられている作業のその手を止めて、立ち止まって考えてみたほうが良いかもしれません。
選ぶ能力は誰にも奪えない、ただ、本人が手放してしまうだけだ