はじめに:『しあわせ眼鏡』が『幸福論』と改題され復刊
幸せってなんだろう。考えたことはありますか?
日々の暮らしに精一杯で、もうそんなことに時間を取って考えることはなくなりましたか?ではその日々の暮らしは何のためにあるのでしょうか。なぜ私たちは好きでもないことをしたりする必要があるのでしょうか。なぜお金が必要なのでしょうか……
このように『なぜ』を突き詰めていくと、誰もが求めるもの=幸せのあり方が、ぼんやりと見えてくるのではないでしょうか。
本書は、ユング心理学の権威で分析心理学のエキスパート、河合隼雄が『しあわせ』についてぼんやり考えて書き記したエッセイ集、『しあわせ眼鏡』を復刊したものです。
題名は『しあわせ眼鏡』の方が良いと思うのは私だけでしょうか?本書を読んでいると、今は亡き河合隼雄が『しあわせ眼鏡』を通して人々の人生について熟考している姿が想像できるので素敵だと思うのです。
目次
- はじめに:『しあわせ眼鏡』が『幸福論』と改題され復刊
- 目次
- 村上春樹、谷川俊太郎らとも交友が深かった。河合隼雄ってどんな人?
- 幸せとは目標として求めらられるものではなく、副次的についてくるもの
- 幸せとは不幸や悲しみで裏づけがされるもの
- おわりに
村上春樹、谷川俊太郎らとも交友が深かった。河合隼雄ってどんな人?
日本の心理学者。京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。文化功労者。元文化庁長官。専門は分析心理学(ユング心理学)、臨床心理学、日本文化。
日本人として初めてユング研究所にてユング派分析家の資格を取得し、日本における分析心理学の普及・実践に貢献した。また、箱庭療法を日本へ初めて導入した。
山口昌男や中村雄二郎をはじめ、梅原猛、鶴見俊輔、森毅、白洲正子、安野光雅、山折哲雄、谷川俊太郎、柳田邦男、養老孟司、工藤直子、安藤忠雄、村上春樹、中沢新一など交友関係は多岐に渡った。河合隼雄 - Wikipedia より抜粋
肩書きが多すぎて、いかにもお役人学者というようなイメージが沸くと思いますが、まったく、まっったくそんな人ではありませんでした。生前は、冗談が大好きで、人としての器の大きさが文章からもあふれ出る、そんな人でした。
交友関係も他ジャンルに広く、まさに知の巨人ともいえるような、深みを持った人物だったように思えます。ちなみに、あの村上春樹も、河合隼雄の前では少年のように話を聞いてもらっています。
その様子は本にも納められています。 こちらもめちゃめちゃ興味深い本ですのでぜひ読んでみてください。
幸せとは目標として求めらられるものではなく、副次的についてくるもの
さて、本題に入りましょう。
本書を通して流れる河合隼雄の価値観として、幸せの副次性があげられます。幸せそのものを追い求めていては、幸せになることができない、という、哲学的な考え方です。
過去、例えば戦後すぐの人々の悩みは、下記のようなことが大半だったはずです。
- 食べ物がない
- 学校へ行けない
- 仕事がない
- 家がない
『ない』ものばかりだったので、それを手に入れれば幸せになれる、という道筋が見えていました。ただし、現在の悩みはより複雑化しています。食べ物に困ることはないが、どんな素敵なところで食べているのかをSNSで競い合ったり、大学へ入っても人生に迷って、結果的に自分探しの旅に出たり、仕事はあるけれど、人間関係に悩まされたり……と、『ある』にも拘らず悩みがより増大しているように感じます。
そんな昔の『よい』価値観に対して河合隼雄は言います。
「よい」、「わるい」など考えてもわからないことだから、そんなことにこだわらずに、ともかく、自分らしい生き方を探し出すより仕方ないのではないか。だから、今は焦らずにぶらぶらしていたら、何かが心の中からでてくるはずである。何も無理に「よい」ものの真似をする必要はない。ボチボチといきましょう。
(本文より)
どうでしょうか。かなりユルいコメントだと思いませんか?笑
本書のエッセイ、万事がこのようなコメントで、ズバっと一刀両断し、解を提供するわけではありません。その代わりに、じっくりと自分自身の『しあわせ眼鏡』を使って、自分自身と対話していくことで、何かその人にとっての大切なものが見つかるよ、と言ってくれている気がするのです。
つまり、幸せとは目標として求めることができないもので、何か自分自身の『生きがい』のようなものが見つかれば、それに伴って着いてくるから安心してね、ということです。こう考えると気が楽になりますし、『今』を大切にできますね。
幸せとは不幸や悲しみで裏づけがされるもの
たくさんの幸せにまつわるエピソードが載せられた幸福論ですが、不思議な一文でおわりを迎えます。そんな最後の一文を紹介します。
幸福ということが、どれほど素晴らしく、あるいは輝かしく見えるとしてもそれが深い悲しみによって支えられていない限り、浮ついたものでしかない、ということを強調したい。恐らく大切なものは、そんな悲しみのほうなのであろう。
(本文より)
『悲しみの方が大切』という文章で終わります。これだけだと、どんな幸福論や、という感じではありますね。
ここで考えるべきなのは、『幸せ』、という状態が相対的なものである、ということです。
今の時代、苦しみを避ける方法は無限にあります。駅まで歩くのにタクシー、待ち合わせに遅れるのにケータイ、面倒な家事の代行……etcなどなど、対処療法的な解決方法に溢れています。もちろんこれらは人類が苦しみながら解決策として作り上げてきたものなので、基本的には歓迎すべきものです。
ただ、自分の人生そのものを、楽をする対処療法に任せっぱなしにしてはいけません。自分の進む道が間違っていると感じたら、根源治療を行って、正しい道へ進路を調整する必要があるのです。本当に取り組むべきものにはどっしりと、正面から取り組む。そうする過程で苦しみを味わうこともあるでしょう。その後には必ず幸福感がやってくる、そう語りかけてくれているように感じます。
おわりに
いかがだったでしょうか。具体的な幸福になる方法!を求める方にはしっくりこないかもしれません。
ただ河合隼雄が伝えようとしたことは、簡単に幸せになれる方法ではありません。自分自身と向き合うことで、幸せはやってくる。そういうことだと思います。たまには自分の人生について考えてみるのも良いのではないでしょうか。