はじめに:翻訳界のスーパースター柴田元幸
私が最も敬愛する翻訳家で、ご存知の方も多いでしょう。日本の翻訳・文学界で最も有名な翻訳家の一人です。大先生です。
ポール・オースター、チャールズ・ブコウスキー、スティーヴ・エリクソン、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウンなど現代アメリカ文学・ポストモダン文学の翻訳をはじめ、マイク・トウェインやトマス・ピンチョン、アーネスト・ヘミングウェイ、J・D・サリンジャーなど巨匠の翻訳も多く行っています。
翻訳界のスーパースターと言って良いでしょう。
知らない人のために略歴をwikiから↓↓
日本のアメリカ文学研究者、翻訳家。東京大学名誉教授。東京都大田区出身。
ポール・オースター、チャールズ・ブコウスキー、スティーヴ・エリクソン、スティーヴン・ミルハウザー、リチャード・パワーズなど現代アメリカ文学、特にポストモダン文学の翻訳を数多く行っている。彼の翻訳した本は注目を集めるため、レベッカ・ブラウンなどは本国アメリカよりも日本での方が人気が高い。
小説家の村上春樹が1986年にジョン・アーヴィングの『熊を放つ』を翻訳する際、柴田、畑中佳樹、上岡伸雄、斎藤英治、武藤康史の5人でチームを組んでバックアップをした。ここから村上との親交が始まる。1987年7月刊行のポール・セローの『ワールズ・エンド(世界の果て)』からは、村上の訳文をひとりでチェックするようになった。
柴田元幸 - Wikipedia
wikiにある通り、村上春樹の翻訳をサポートしていることでも有名です。村上春樹にも信頼を置かれる人物、すなわち文章家としても素晴らしい能力を持っているのです。
翻訳の読み物として、『翻訳教室』や、村上春樹と共著した『翻訳夜話』ものなどもあります。
また、自身が編集長を務める『モンキービジネス』 は読み応えMAXで、新しい文学に出会えるので、超おすすめです。
さて、柴田元幸紹介を終わったところで、さっそく作品紹介どうぞ!
目次
- はじめに:翻訳界のスーパースター柴田元幸
- 目次
- ウインドアイ/ブライアン エヴンソン
- 僕の名はアラム/ウィリアム サローヤン
- ナイフ投げ師/スティーブン・ミルハウザー
- シカゴ育ち/スチュアート・ダイベック
- パルプ/チャールズ・ブコウスキー
- ウェイクフィールド/ナサニエル・ホーソーン
- アムニジアスコープ/スティーブ・エリクソン
- 私たちがやったこと/レベッカ・ブラウン
- ナイン・ストーリーズ/J・D・サリンジャー
- ムーン・パレス/ポール・オースター
- トム・ソーヤーの冒険/マーク・トウェイン
- オズの魔法使い/ライマン・フランク・ホーム
- 小説以外のいい仕事
- おわりに
- あわせて読みたい
ウインドアイ/ブライアン エヴンソン
妹はどこへ消えたのか。それとも妹などいなかったのか? 『遁走状態』に続く最新短篇集。最愛の人を、目や耳を、記憶を、世界との結びつきを失い、戸惑い苦闘する人びとの姿。かすかな笑いののち、得体の知れない不安と恐怖が、読者の現実をも鮮やかに塗り替えていく――。滑稽でいて切実でもある、知覚と認識をめぐる25の物語。ジャンルを超えて現代アメリカ文学の最前線を更新する作家による、待望の第2短篇集。
https://www.amazon.co.jp/dp/410590132X
とにかく表題作がキレッキレ。もちろんカフカに影響は受けているしそれでいて、アメリカの小説の最前線って言っていいと思う。大国の凄さはこういうところにあるんだな、と。
現代の不安を描くための虚構として、こういうもの/題材/プロットを選ぶことができるのは、この時代に生きる前衛作家としては必然なのかもしれません。
それでも、感謝の念を禁じえません。毒にもなるし薬にもなる、そんな短編集です。
僕の名はアラム/ウィリアム サローヤン
僕の名はアラム、九歳。世界は想像しうるあらゆるたぐいの壮麗さに満ちていた――。アルメニア移民の子として生まれたサローヤンが、故郷の小さな町を舞台に描いた代表作を新訳。貧しくもあたたかな大家族に囲まれ、何もかもが冒険だったあの頃。いとこがどこかからか連れてきた馬。穀潰しのおじさんとの遠出。町にやってきたサーカス……。素朴なユーモアで彩られた愛すべき世界。
https://www.amazon.co.jp/dp/4102031065
村上柴田翻訳堂、シリーズの1冊。
村上柴田翻訳堂とは、書店にある文庫本の海外(古典)のコーナーに、村上春樹、柴田元幸両氏が残していたい作品10冊の小説群のことです、本作はそのうちの一つです。
www.shinchosha.co.jp
どちらかと言えばラインナップの中では小粒な方ではあるのですが、じわじわ効いてくるんですよね。気づいたら取り込まれている、いや、自分の一部がアラムを取り込んでいるような、”入り込んでくる”系の小説です。
ナイフ投げ師/スティーブン・ミルハウザー
飛翔する想像力と精緻な文章で紡ぎだす、魔法のような十二の短篇集。語りの凄み、ここに極まる。
スティーヴン・ミルハウザー Steven Millhauser
1943年、ニューヨーク生まれ。アメリカの作家。1972年『エドウィン・マルハウス』でデビュー。『マーティン・ドレスラーの夢』で1996年ピュリツァー賞を受賞。邦訳に『イン・ザ・ペニー・アーケード』『バーナム美術館』『三つの小さな王国』、本書『ナイフ投げ師』(1998年、表題作でO・ヘンリー賞受賞)がある。作品は他に、Enchanted Night、The King in the Tree、Dangerous Laughter: Thirteen Storiesなど。これまでに発表した4つの短篇集から選び出した14作品に新作7本を加えたWe Others:New and Selected Storiesで、2012年〈ストーリー・プライズ〉を受賞。
初めて読んだ時の衝撃と感動が忘れられない一作です。
幻想的で狂った世界観、まるで魔法のような言葉で語られる詳細まで作りこまれた完璧な迷宮。切れ味鋭い短編は誰かに語りたくなる、教えたくなるような作品ばかりです。
筒井康隆と森博嗣を足して手塚治虫スパイスを加えたような感じです。
シカゴ育ち/スチュアート・ダイベック
7つの短篇と7つの掌篇が織りなす美しく力強い小説世界。シカゴに生まれ育ったダイベックは、ユーモアと愛惜を込めてこの古い湖岸の人間模様を描き出す。92年刊の再刊。
スチュアート・ダイベック
アメリカ・シカゴ出身の小説家。自身の出身地であるシカゴの下町を舞台にした短編作品が多い。日本では主に柴田元幸によって翻訳・紹介されている。
むちゃくちゃ良いです。
人は昔を懐かしむ時に、独特の脳波が出ると言います。思い浮かべるだけで、生まれ育った街の匂いまでしてきて、切なくなることありませんか?
私はシカゴはほとんど訪れたことがないですが、シカゴが愛おしくなりました。それも、観光地でないシカゴが。ダイベックが過ごしたであろうシカゴが。
パルプ/チャールズ・ブコウスキー
ニック・ビレーンは、飲んだくれで、競馬が趣味の超ダメ探偵。ところが、そんな彼に仕事が二つ転がり込む。ひとつは死んだはずの作家セリーヌをハリウッドで見かけたから調べてくれという“死の貴婦人”の依頼、もうひとつは“赤い雀”を探してくれという知人の依頼。突然の仕事に大張り切のビレーンは、早速調査にのり出すのだが…。元祖アウトロー作家の遺作ハードボイルド長編。
ブコウスキー,チャールズ
1920‐94年。ドイツ生まれ。3歳でアメリカに移住。LAシティ・カレッジ中退ののちアメリカ各地を放浪し、24歳で最初の小説を発表する。その後は郵便局に勤務しつつ創作活動を続ける
ブコウスキーの小説は軽視されがちです。いわゆる『しょうもないこと』ばかりたらたら書いていると言われることも多いです。
ひとつだけ言えるのは、彼は常に卵側の人間にいるんだということ(卵と壁)。独特の世界観は健在です。
ウェイクフィールド/ナサニエル・ホーソーン
「およそ文学における最高傑作の一つと言っても過言ではない」とボルヘスに激賞され、オースターが『幽霊たち』を書く際に依拠したとされるホーソーン著『ウェイクフィールド』。ストーリーも時代設定も同じながら、新たな光をあてラテンアメリカ、欧米諸国で絶賛されたベルティ著『ウェイクフィールドの妻』。不可解な心理と存在の不確かさに迫る文豪と鬼才のマスターピース二篇。
ホーソーン,ナサニエル
1804~1864。アメリカ・マサチューセッツ州生まれ。1850年に発表した『緋文字』によって名声を博し、世界的に認められた初のアメリカ人作家といわれるベルティ,エドゥアルド
1964~。アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。ジャーナリスト、テレビ・ドキュメンタリー作家としても活躍。『ウェイクフィールドの妻』(1999年)はフランスのフェミナ賞候補になるなど、本国はもちろんのこと、アメリカ、ヨーロッパで高く評価された
何かが起こりそうな予感、いわゆる不穏な状態、不安定な状態、心理状況を強烈に利用した作品。こんなのありか、と思わせる作品。文学の可能性を広げたであろう一作です。
こういうのばっかり読んでいると厭世家になってしまいます。本の中の世界の方が絶対に正しいって思ってた時期ありますもん。そんな経験あなたもありませんか?
アムニジアスコープ/スティーブ・エリクソン
アメリカ最高の幻視作家による〈愛〉の物語。
アメリカ現代文学を代表する作家エリクソンが、近未来、大震災が起きて廃墟と化した幻想的なLAを舞台に、これまで自分が関係してきた女性たちとの記憶を生々しく甦らせ、愛について考察する。
エリクソン,スティーヴ
1950年カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)卒業。専攻は映画とジャーナリズム論。作家。サミュエル・ゴールドウィン賞創作部門受賞
読み始めると、安い映画のような気がしたものです。
それがどんどん幻惑され、誘惑されていってしまって、気づけばもう本の虜になってしまっています。
LAが大震災ってところがまたなんとも言えない感情を呼び起こす。
私たちがやったこと/レベッカ・ブラウン
互いが不可欠になるために、耳を聞こえなくした“私”と、目を見えなくした“あなた”。その愛の行方を描く表題作。二人きりで過ごすはずの、新婚旅行先のコテージに、夫の知人がどっと押し寄せ、困惑する“私”―「結婚の悦び」。ホームケア・ワーカーの日常を描き、ラムダ文学賞などを受賞、静かな感動を呼んだ『体の贈り物』の著者が鋭く描く、人間関係と愛の不条理さ。幻想的で美しい短編集。
ブラウン,レベッカ
1956年、アメリカ生れ。シアトル在住。『体の贈り物』でラムダ文学賞、ボストン書評家賞、太平洋岸北西地区書店連合賞を受賞
日本文学、それも女性の小説が好きな人は、これ絶対に読むべき。
女性の持つパワーとか、鋭さとか、クレイジーさとか、かなり、詰まっています。いい意味でも悪い意味でも日本人女性作家にはない美しさ、力強さがあります。
狂っているけど、美しい。クレイジーだけど、美しい。不条理だけど、美しい。超オススメです。
ナイン・ストーリーズ/J・D・サリンジャー
"サリンジャーが遺した最高の9つの物語
いまだ世界中で熱狂的な読者を有するアメリカの現代文学の巨匠サリンジャー。
2010年に没した著者の自選短編集が35年ぶりの新訳版で登場。
翻訳の名手、柴田元幸の手によって、シーモアたちの声が現代によみがえる――。
J・D・サリンジャー
アメリカ合衆国の小説家。ニューヨーク市マンハッタン生まれ。『ライ麦畑でつかまえて』などで知られる。晩年は一切作品を発表せず、公にも姿を見せない隠遁生活を送った。
サリンジャー×柴田元幸。これがハズレるわけないでしょう。
攻殻機動隊でもおなじみ『笑い男』、数々の派生作品を呼ぶ『バナナフィッシュにうってつけの日(バナナフィッシュ日和)』、シーモアに会いに行きましょう。
いやぁ、それにしてもサリンジャーの遺作はまだ読めないのか?
ムーン・パレス/ポール・オースター
人類がはじめて月を歩いた夏だった。父を知らず、母とも死別した僕は、唯一の血縁だった伯父を失う。彼は僕と世界を結ぶ絆だった。僕は絶望のあまり、人生を放棄しはじめた。やがて生活費も尽き、餓死寸前のところを友人に救われた。体力が回復すると、僕は奇妙な仕事を見つけた。その依頼を遂行するうちに、偶然にも僕は自らの家系の謎にたどりついた…。深い余韻が胸に残る絶品の青春小説。
オースター,ポール
1947年生れ。コロンビア大学卒業後、数年間各国を放浪する。’70年代は主として詩や評論、翻訳に創作意欲を注いできたが、’85年から’86年にかけて、『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』の、いわゆる「ニューヨーク三部作」を発表し、一躍現代アメリカ文学の旗手として脚光を浴びた
史上最高の青春小説。一生ものの出会いがあります。
私はこの本で柴田元幸に出会って、大ファンになりました。
ストーリーやプロットは、オースターお得意のご都合主義とも思える展開を孕んでいます。オースター自信も、書いた中で唯一のコメディ、とか言っちゃうほどですから。
しかし何にも代え難い体験があります。あなたは何もない状態から始まって、あなたは恋をして、愛することを学んで、手に入れたつもりが失って、また愛を求める。血のつながりは不思議なもので、最後にはまた何もかもが始まる。
深く、深く何かを心に刻んで、そして去っていく小説です。
トム・ソーヤーの冒険/マーク・トウェイン
ポリー伯母さんに塀塗りを言いつけられたわんぱく小僧のトム・ソーヤー。転んでもタダでは起きぬ彼のこと、いかにも意味ありげに塀を塗ってみせれば皆がぼくにもやらせてとやってきて、林檎も凧もせしめてしまう。ある夜親友のハックと墓場に忍び込んだら……殺人事件を目撃! さて彼らは──。時に社会に皮肉な視線を投げかけつつ、少年時代をいきいきと描く名作を名翻訳家が新訳。
トウェイン,マーク
1835‐1910。アメリカのミズーリ州に生れ、ミシシッピー河畔で少年期を送る。『ミシシッピ河上の生活』『王子と乞食』『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリイ・フィンの冒険』等を発表し、19世紀のアメリカを代表する文学者となる。その自由奔放かつ正確な文章は後の作家に多大な影響を与えた
古典もしっかり訳す柴田大先生。
すべてのアメリカ小説はマーク・トゥエインに通ずる、と誰かが言っていましたが(ウィリアム・フォークナー)、確かに熱いポイントを押さえている名作です。
意外と読んでない方が多いと思うので、ぜひ柴田訳でどうぞ。
オズの魔法使い/ライマン・フランク・ホーム
カンザスの大平原のまんなかから大竜巻で家ごと見知らぬ土地に飛ばされたドロシー。ヘンリーおじさんとエムおばさんが待つ故郷へ戻りたい一心で、どんな願いも叶えてくれるという偉大なる魔法使いオズに逢いにエメラルドの街を目指す。頭にわらの入ったかかし、心臓がないブリキの木こり、勇気がほしいライオン。仲間とともに困難を乗り越える一行の願いは叶えられるのか? 柴田元幸の新訳による不朽の冒険ファンタジー!
ボーム,ライマン・フランク
1856年、ニューヨーク州生まれ。油田開発に携わる裕福な家庭に育ち、幼少期から創作活動に触れる。実業家として養鶏業を営む傍ら、劇団活動に傾倒し、自らも多数の脚本を執筆。新聞記者を経て、97年に刊行したMother Goose in Prose(散文のマザー・グース)で児童文学作家として認められる。19年没
https://www.amazon.co.jp/dp/B00CBPPC96
こちらも古典です。
いわゆる児童文学の中で、異様な空気感を持っていた作品だと思います。小学生の時なんて、この作品だけは特別でした。むちゃくちゃハッピーではない、でもそれがおもしろい、ということを知ったのはオズの魔法使いのおかげかもしれません。
柴田訳でぜひどうぞ。
小説以外のいい仕事
小説の技巧/デイヴィッド・ロッジ
読者を小説世界に引きずりこむために作家は書き出しにどんな工夫を凝らしているか。サスペンスを持続させるにはいかなる妙技が必要か。登場人物の名前がもつ意味は。「エマ」「ユリシーズ」から「ライ麦畑」「日の名残り」まで、古今の名作を題材にその技法を解明し、小説味読の楽しみを倍加させる一書。
スポーツはルールを知らなくても楽しめます。ただ身体の躍動が、ボールのスピードが、おもしろいのです。
ですがルールを知るともっと楽しめます。想像が膨らむのです。ここでこうすれば良いのに、こう蹴る、こう打てば、こう回転をかければ、誰でも語りたがるものです。
小説も同じで、ルールを知ればもっと楽しく読めます。網羅的に小説のルール(技巧)が載っていて、例文付きで、『読ませる』本になっています。
こんな本を訳せるのは柴田元幸だけじゃね?って感じの一冊。
【過去記事】
うろんな客/エドワード・ゴーリー
風の強いとある冬の晩、館に妙な奴が闖入(ちんにゅう)してきた。そいつは声をかけても応答せず、壁に向かって鼻を押しあて、ただ黙って立つばかり。翌朝からは、大喰らいで皿まで食べる、蓄音機の喇叭(らっぱ)をはずす、眠りながら夜中に徘徊、本を破る、家中のタオルを隠すなどの、奇行の数々。でもどういうわけか、一家はその客を追い出すふうでもない。
アメリカ生まれの異色のアーティスト、エドワード・ゴーリーによる、1957年初版の人気の絵物語。なんといっても、「うろんな客」の姿形がチャーミングで、忘れがたい。とがった顔に短足。お腹がふくらみ、重心が下にある幼児型が、稚拙な仕草をほうふつさせる。
この客、傍若無人ながらも憎めないのは、多分、彼が無心に行動するからだろう。たとえば子どもにせよ、ペットにせよ、無垢で無心な存在に、手はかかるけれども案外私たちは救われているのでは。そう思うと、この超然とした招かれざる客には思いあたるふしがある、と深いところで納得させられもするだろう。
白黒の、タッチの強いペン画と、文語調の短歌形式の訳が、古色蒼然としたヴィクトリア風館の雰囲気を、うまく醸し出している。明治時代の翻訳本のようなレトロ感も魅力。原文はゴーリー得意の、脚韻を踏んだ対句形式。どのページの絵も、これまた芝居の名場面のようにピタリときまって、子ども大人共に楽しめる絵本だ。(中村えつこ)
ゴーリー,エドワード
1925年、シカゴ生まれ。独特の韻を踏んだ文章と、独自のモノクローム線画でユニークな作品を数多く発表している。またE・リアやS・ベケットらの作品の挿画や、劇場の舞台美術なども手がけた。その幻想的な作風と、アナグラムを用いた(Ogdred Wearyなど)ペン・ネームを使い分け、たくさんの私家版も出版したために多くの熱狂的コレクターを生みだした。1960年代、70年代に精力的に刊行された作品群が、90年代に入り再版され、タワーブックスでのユーモアコミック部門のベストセラーとなり、アマゾンコムのアート本部門では上位20位内の常連となっている。2000年4月15日、心臓発作のため死去。享年75歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
大人のためのアートとしておもしろい。
理屈なんていらない、ただ不条理を描写し、ただ子どもを死なせていく。不気味で美しい世界を味わえます。大人の絵本です。
といいつつ、子どもも意外と好きなんじゃないかな、子どもの方が理屈に支配されていないですから。こういう不条理なのを自然に受け入れられそう。
【過去記事】
おわりに
いかがでしたでしょうか。
私は柴田元幸の翻訳、であれば何でも読んで間違いない、と信じきっています。それだけ波長が合うというか、彼に選書してもらっている気分です。
翻訳の腕もむちゃくちゃすごいので、名翻訳を見るためだけに是非一冊お試しください。
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