違いがあるから新しい
外国文学は何故おもしろいのか。考えてみるとちょっとしたことですが、気づいたことがあります。普遍的概念と、異文化による違和感というものがあります。(呼び方は勝手につけていますが、)2つが良きバランスで含まれているとき、私的にはおもしろい作品に出会った、と感じることに気づきました。
簡単に言うと、愛とか道徳とか、テーマは共通であっても、そもそもの地理条件(砂漠だとか)や、思考プロセス(階級制度の考え方とか)が違うし、そうすると自ずから表現方法が日本文学と違ったりして、新しい感覚になれるやん! ってことですわ。
もちろん日本文学でも様々な試みで『新しさ』を出そうとしてはいますが、海外文学の場合はもう前提からして違和感ばかりなので、日本人にとっては圧倒的に新しいことばかりなんですわね。例えばコロンビアのガルシア=マルケス『族長の秋』とか、初めて読んだ時、マジックリアリズムに圧倒されて、蟻の貪るところとなりかけましたわ。
今後だって、例えばアフリカの物語、民話みたいなのを読めたら、理解不能なくらい新しいこともでてくると思うんです。本って、他人の経験や感情を濃い濃度で疑似体験できる最高の媒体やと思うんですが、海外の体験するのもたまにはええですやん?ご飯でいうところの、寿司、寿司、寿司、ドリア、寿司、寿司、キムチ的なね。エ、ナンカイロイロオカシイ?
で、どんな本?
この『雲と砂丘の物語』に関しては、絵本ということもあってかなりシンプルですわ。プロットもストレート。母なる(父なる?)愛の物語。どことなく漂う宗教くささとロマンチスト感を、大人にこそ味わってほしい。1回5分で読め、何度も味わえますで。
巻末には、パウロから日本へのメッセージをくれているんです。関東大震災の復興を祈るメッセージがあるのですが、素敵なメッセージです。この祈りにも異文化を感じますのでぜひお楽しみに。
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